鹿の湯の歴史


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鹿の湯の歴史
鹿の湯の歴史
大正7年の長命館(鹿の湯)
寛文元年(1661年)、津軽(現青森県)から訪れた伊藤源五郎が、温泉で傷を癒している鹿を見つけたのが鹿の湯の始まりでございます。
鹿ノ湯はカメトマリの湯(塩類鉱泉)と浜ノ湯(硫黄鉱泉)の別名があり、明治14年(1881年)に四代目を襲名した伊藤源五郎が開拓使から浴用鉱泉の免許を得て営業をしていたようです。
大正7年春に掘削中、熱湯を噴出す間歇泉
明治20年(1887年)頃、鹿部小学校教員が児童らと亀泊(カメトマリ)の海浜を手掘りして温泉を発掘し、仮浴場を作って村人と一緒に入浴していた所が亀ノ湯の始まりで、明治34年(1891年)に医師だった相沢良恂が官地を借りて温泉病院兼温泉旅館の亀ノ湯を開業されました。
その頃、村の人達は亀ノ湯を新湯、鹿ノ湯を古湯と呼んでおりました。
明治42年(1899年)、鹿の湯は客室10室・定員50人・浴槽三つに男女を区別して『長命館』と名付け、大正9年(1920年)に『温泉旅館 鹿の湯』として誕生いたしました。
その後も村の公衆浴場と旅館として引き継がれて行きました。
昭和40年頃の鹿の湯
昭和20年(1945年)には部屋数も増え木造2階建てに建て替えられ、近代的な温泉旅館として昭和時代の成長と共に歩んで来ました。
当時の村長は、地熱開発に大きな夢を託しており、 北海道立水産ふ化場にはたらきかけて、昭和36年(1961年)6月鹿部に北海道立温水増殖実験所が新設されました。
温水増殖とは、ウナギの温水利用増殖いわゆる養殖ウナギ・養鰻場ができたのです。
うなぎかば焼の包装紙
昭和37年(1962年)には、鹿の湯の主人 伊藤 英俊氏が30個の養殖池を新設して養まんに着手。
昭和40年(1965年)には、三万尾を飼育、近隣はもとより札幌へ一万尾を出荷して好評を得ておりました。
のちに道立養鰻場は村に移管され、個人経営の株式会社北海養鰻として昭和61年(1986年)頃まで経営しておりました。
その為、旅館内には大広間や食事処を設えて、観光バスで来られるお客様のお食事には自慢の鰻の蒲焼を振る舞っておりました。
右写真はその当時に使われていた『うなぎのかば焼』の包装紙でございます。
現在は養鰻を辞めたため、鰻料理はお出ししておりません。
現在の鹿の湯
そして時代の繁栄と共に歩んで来た当旅館も老朽化したため、昭和51年(1976年)に建替えて、平成3年(1991年)には、浴場に露天風呂を造りました。
また、平成5年(1993年)に、ゆとりある『おもてなし』ができるように部屋数を10室に減らして玄関や1階・2階部分を改築いたしました。
さらに平成29年(2017年)には浴場(内湯)をリニューアルして現在に至っております。



女将 伊藤恵子




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